前回の記事では、今や日本の若者の自殺率は、旧共産圏を除いた先進国の中では今や世界最悪である事を紹介しました。

出展:データえっせい: 青年の自殺率推移の国際比較※「瑞」=スウェーデン
- ブラック企業の蔓延
- 新卒至上主義における「非人道的」でアブノーマルな選考基準
今回は実際にブラック企業に勤め、地獄の歳月の間、このまぶたの裏に焼き付けてきた事実や光景をもとに、若者を自殺に誘い込む上記2つの社会要因ついて考察してみます。
おさらい、若者を自殺に追い込む社会要因
その前に前回のおさらいをします。日本の若者の自殺率の高さには、以下のような社会要因が関係すると私は指摘しました。
【雇用・労働問題】
- 新卒至上主義
- 新卒一括採用方式
- 新卒者にしか開かない正社員の門戸・キャリアアップのチャンス
- 中途採用は超即戦力主義
- やり直しの効かない社会
→就活自殺へ
- ブラック企業の蔓延
- 企業の収益減少と人手不足
- 求められる戦力とのミスマッチ
- 一人当たりの仕事量増加
→過労自殺、過労死の増加
【格差の固定化】
- 不安定な非正規雇用の増加
- 正規・非正規間での経済格差などの拡大と固定化
→生活苦や、それによる精神疾患等による自殺者の増加
※生活苦に関しては、奨学金破産なども問題
3つの自殺予防対策
こうした日本独自の若者を苦しめる社会要因に負けず、若者が充実した人生を生きていくために、私は以下の思考や行動が有効になるのではないかと思います。
社会の価値観を自分に取り込まない
繰り返しにはなりますが、日本の若者達を苦しめているのは、機会不均等な採用慣行(新卒一括採用方式)、ブラック企業の蔓延、不安定な非正規雇用の増加、一度非正規になる正規雇用に戻れない不可逆性、雇用形態の違いによる諸格差の固定と拡大にあると言えます。
その中でまず最初に撤廃・改善しなければならないのが、「新卒至上主義」と「新卒一括採用方式」という、新卒者以外への不平等性です。ちなみにこの異質(ガラパゴス)な採用慣行が、今も堂々と行われているのは日本だけです。
海外の採用基準は実力・能力主義。ですから即戦力やスキル、それを裏付ける職歴、資格などを持つ人材が優先的に採用されます。また欧米の中には、学生のうちに企業内での実践経験を積めるシステムを採用する国もあります。そうした国々の学生は新卒時でもそれなりの実戦経験とスキルを持っている場合もあります。そうした社会では学生に対して、即戦力を裏付ける専門性と、学校での優秀な成績が重視される傾向もあります。
日本も職業教育を導入すべき
何の対策も行わなければ「新卒者」は実務経験もスキルもないただの非力な人材。
しかし、海外の新卒者は、「新卒一括採用」など理不尽な採用慣行によって「特別扱い」はされていません。そのため彼らも、実力者・実務経験者と同じ条件で同一のポスト、ジョブをめぐって争うことになります。しかし経験者のようにキャリアも即戦力のない若者がその競争に勝つことは、当然困難です。そのため、何の対策もしなければ、実力社会では若年者の失業率は、他の世代より高くなる傾向があります。
2008年のリーマン・ショックは本国のアメリカや日本だけでなく、EU圏にも大打撃を与えました。EU圏ではもともと高かった若年者の失業率が、リーマン・ショックを機に「ある国」を除いて、更に急激に悪化してしまいました。
その「ある国」とはドイツです。
デュアルシステムの職業教育
ドイツの若年者失業率の低さを支えているのが、ドイツ独特の職業教育(アウスビルドゥング)です。ドイツの若者は職業学校で「理論」を学びながら、同時に、「実際の職場」で実践・スキルを積むのです。この二元制(デュアルシステム)によって、若者は「理論」だけでなく「実務経験」によってスキルを習得します。そしてその技量を裏付ける資格も取得します。

出展:魅力的な労働市場 | Facts about Germany
実践的な部分は1週間のうち3~4日、現場で学び、1~2日は職業専門学校で理論的教育を受ける二元制職業教育
実はドイツも少子化が進み、人材は不足傾向にあります。こうした背景もあって専門知識と経験をもった若者は、不況にも負けずスムーズに職業人としての船出ができたと考えられるのです。
※一番合計特殊出生率が高いフランスでさえも人口置換水準(現在の人口を維持できる水準2.08)を下回っている。
長期の本格的なインターンシップ
2015年時点でのOECD加盟国の若年者失業率の平均値は13.9%。余論ですが、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャなどの南欧の国々の失業率は、今でも非常に高く深刻な社会問題となっています。

OECD加盟国の若年層(15~24歳)失業率。出展:Unemployment - Youth unemployment rate - OECD Data
実力・能力主義の世界標準の国々で見ると、やはり"ドイツが最も低い失業率 7.3%(全年齢では 5.0%)となっています。それに比べれば高いですが、アメリカも11.6%(全年齢では 6.1%)とOECD の若年者失業率の平均(13.9%)を下回っています。
アメリカはドイツのような「職業教育」制度はありません。そのかわりに学生たちは長期のインターンシップを通じて、実務経験を身につけます。
アメリカの採用ではインターンシップの経歴が、職歴のかわりとみなされます。そのため、学生は、1、2年生といった早い段階から、長期のインターンシップに望みます。そこで実践経験を積むことで、即戦力としてのスキルを身につけるのです。企業側もインターンシップには積極的で、そこで「有能」と判断とした学生には、内定を与えるケースもあるのです。
企業内職業教育の崩壊が原因
そもそも新卒至上主義とは、「終身雇用制度」の名残でしかありません。実務経験とスキルがない人材(新卒者)でも、長期に一つの企業に働き続ける労働文化があったため、働きながら一人前の職業人として育て上げることに成功していたのです。古き良き昭和の「企業内職業教育」のシステムです。
戦後日本は人材不足が深刻。そのため大量かつ継続的に人材を確保するには、定期の新卒一括採用方式が当時の日本には適していたのです。
しかし、終戦後71年。バブルもはじけ、ここ数十年はデフレ不況に苦しみ続けました。その結果、既に「終身雇用制度」の方は、過去の遺物となりました。かわりに今や、「新卒一括採用」+「企業内職業教育」を行う余力のない「非」大手企業の採用や、中途採用、通年採用の現場では、既に世界標準の「即戦力主義」が浸透したのです。
実はこうした2つの異なる採用方式の存在と、「企業内職業教育の衰退」こそが、ブラック企業が日本に蔓延した根本原因だと言えるのです。
世代間格差の根源でもある
ドイツやアメリカのような「実践型」の職業教育システムがない日本の新卒者は、言いにくいのですが社会人・職業人としてはとても非力です。
未だに日本企業は社員採用の対象をほぼ新卒者に限定しています(新卒至上主義)。したがってリーマン・ショックのように突如襲来する不況の影響などで、企業の採用活動が停滞した場合、そのあおりを食らうのはその時の新卒者達なのです。

画像出展:内定取り消しのリスクはどの程度か
こうして不運にして「新卒一括採用」の枠が狭められ、その枠から外れてしまった気の毒な若者達は、「新卒者の特権」である「企業内職業教育」が受けられませんでした。つまり、即戦力・スキルを磨くための「唯一の機会」を失うことになったのです。
「既卒者」を待ち受ける中途採用、通年採用は原則「即戦力型採用」。職能・スキルを養成するための唯一の機会を失ってしまった「氷河期世代」は、ほぼ永久に「即戦力やスキル」が身に付かないため、永遠にこの中途採用に落ち続け、まっとうな正社員にはなれないのです。
安くて体力だけはある若者たち
1991年のバブル崩壊以降、日本企業の多くがやリストラ(実態は中高年の整理解雇)や、その他の様々なコスト削減の努力を通じて無駄のない「高利益体質への変換」に努めてきました。やり方は別として、企業が以前より高利益体質になることは、決して悪いことではありません。しかし、そこでひそかに自然消滅していったのが「企業内職業教育システム」だったのです。そして代わりに台頭してきたのが非正規雇用だったのです。
バブル崩壊後の長引く不景気は、こうした企業の体質改善をもたらしましたが、当然、採用活動の抑制にもつながりました。繰り返しですが、日本の場合、新入社員・正社員の採用方法のほぼ全てが、今でも定期の「新卒一括採用」のみです。そのため長引く採用活動の抑制は、新卒者の内定率の慢性的な低下に直結しました。つまり「就職氷河期」(93~2005年)と「新就職氷河期」(2010~2014年)が到来したのです。
こうして、バブル崩壊以降、非常に多くの若者達が「新卒一括採用」の枠から漏れてしまいました。「新卒一括採用」から漏れることは、「企業内職業教育」の機会を失うことを意味します。そのことで、日本には実践的な「職業教育」を全く受けることができなかったスキルの無い非力な若者が溢れかえってしまったのです。
雇用のミスマッチ
リストラ(実態は中高年の整理解雇)と長期の採用抑制は、当たり前のように慢性的な人材不足につながります。しかし、目の前に溢れているのは、「新卒一括採用」の枠から漏れてしまっった不憫でスキルの無い若者ばかり。しかし、バブル崩壊によりシビアな体質改善を行い、その結果「企業内職業教育」のシステムが消滅・崩壊した企業が求めたのは、あくまでも「安くて」なおかつ「即戦力」をもつ人材。つまり、ここで悲劇的で深刻な「雇用のミスマッチ」が生じたのです。
慢性的な人材不足に陥り、人材調達に苦心した企業は、このひずみを逆手にとり、「即戦力」やスキルの無さ、及び「若さ」を口実にし、いやむしろ彼らの弱みをしっかり掴み取り「新卒一括採用」から漏れた「氷河期世代」の若者達を「低賃金」で雇い始めたのです。
経営者と中堅社員だけの異常組織
しかし上述のとおり、バブル崩壊と長引くデフレ不況に苦しんだ多くの日本企業は、そうした非力な若者達を一から教育することは到底できません。なにせ多くの企業はリストラでベテラン社員を葬り去り、新卒採用の長期抑制、縮小で新入社員もほとんど居ないいびつな社員構成になっていたからです。そのため、残った中堅社員は、本来新人がやるべき仕事とベテランがやる仕事の両方をこなさなければならなかったのです。※恐らくこれが、30代・40代の過労自殺者の多さの原因と筆者は推察。
本来、新人教育を担うはずの中堅社員がオーバーワーク、過労状態なのですから、安く雇われた非力な若者達が、ゆったりと働きながら徐々に職能を身に付けるになるなんて「時間と金の無駄・ゆとり」や「甘え(?)」は許されず、入社後すぐに「正社員」、あるいは「名ばかり管理職」としてのシビアな「結果」や「成果」を求められたのです。
もっとひどい場合は、中堅社員さえも過労でいなくなっている会社も相当あったはずです。そうした会社は管理職とスキルの無い若手だけという絶望的な社員構成になっていたはずです。まぁある意味一番スリムで最も人件費だけはかからない人員構造かもしれませんが。
そうした経緯で特に「名ばかり管理職」となった若者は、場合によっては自分より経験のある非正規社員を管理し、しかも毎月ノルマを達成しなければならなかったのですから、自殺しても当然の状況だっただろうと推測します。
[amazonjs asin="4087203611" locale="JP" title="搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)"]
人間版トーチャーテスト(拷問試験)
前述のとおり、もちろん氷河期世代の若者には、業務を「効率的に」こなすだけのスキル、経験値、能力がありません。代わりに彼らが持っていたのは「体力」、「若さ」です。無理のきく若手社員は悲しいかな、残業や徹夜などの長時間勤務を行う以外に、求められた「結果」や「成果」をこなすことができなかったのです。
しかし、そんな過酷な勤務も長く続くこともなく、いずれその職場から消えるのです。中には、そこで「自殺」や「蒸発」をしてしまった若者もたくさんいたのでしょう。こうして引き続き、人員不足に嵌ってしまった企業は、いよいよ「人」の自転車操業状態に陥るのです。採用してはまたすぐに消え、そしてまた採用する。その結果、日本では地獄(過労自殺・過労自殺)への通年採用が定着し始めたのです。
採用してはすぐ退職の悪循環は無駄、非効率です。そのことに気付いた企業は、確信犯的に一度に必要人員よりも多くの若者を採用するようになりました(これも有効求人倍率の上昇に寄与)。そして、彼らにわざと無理難題な業務負荷を与えるのです。これはさらなる長時間労働・心身の消耗につながります。この薄給・長時間労働のトーチャーテスト(拷問試験)に耐えた人材のみを、とりあえず社員としと「残す」いや「キープする」のです。※決して彼らを育てもしません。頭数として残すだけです。
この動画のThinkpad Yogaのように、数々の拷問に「PASSED」(合格)した人材だけが残っていくのです。
精神的虐待が行われる理由
さて、このような人間版トーチャーテスト(拷問試験)を平気で行えるようになってしまった時点で、そうしたブラック企業には、倫理感や道徳感はゼロ。この悪魔の団体の経営陣は、このトーチャーテストに合格する見込みのない体力に恵まれなかった若者には、早々に見切りを付けたがります(人権費の早期削減のため)。そこで、そうした悲運な若者達には、今度は「パワハラ」や「職場いじめ」などの確信犯的な精神的虐待の日々が待ち受けるのです。実際、超人的な体力が無かった私も実際に「職場いじめ」に遭い、さらに各種「パワハラ」に受け、精神的に追い込まれました。
このように即戦力・スキルのなかった氷河期世代の最終兵器である「体力」が優位でなかった若者達は「人減らし」のターゲットとされ、肉体面だけでなく精神的にも確信犯的にじりじりと追い詰められていくのです。そこで心身ともにすり減らした若者は、悪魔達の期待通り、早々に消えるのです。
安い人材を大量採用し、トーチャーテスト(拷問試験)にかけ、残った人材だけを確保する。こうしたやり方が、「企業内職業教育」ができない企業にとって、最も効率的で確実な「人材不足」解消法として学習され、同様な問題を抱える日本企業のすみずみに蔓延・定着してしまったのだと私は考えます。
ブラック企業という言葉が無かった悲劇
私がブラック企業に入社したのは2003年。その頃はまだ「ブラック企業」という言葉も概念もありませんでした。中には社会人デビューがブラック企業だった悲劇の若者(私と同世代・貧乏クジ世代)も多かったと思います。※私はちょうど大卒求人倍率が、史上最低だった2000年3月大卒世代です。
現在はブラック企業という言葉と概念が定着しました。ですから、そうした会社を早々に辞めることは、悪いことではない、「賢明だ」という判断も浸透していると思います。
しかし、当時はまだ悪しき昭和の名残があり、現在よりも1つの企業に長く勤めることが常識的で模範的とされていました。しかも、「サラリーマンなんて誰でもなれる」という死語がまだあったぐらいの時代。サラリーマンを続けられなかった人間は、落第者・落伍者として社会的評価・自己評価を受け入れざるを得ない風潮がありました。
ブラックかどうか分からなかった若者達
なおかつ、未だに日本の学生には「実践的な職業教育」がされていません。つまり企業での実践的な職業体験が一切ない、何も分からない状態でいきなり会社員となるのです。
ですから、たとえ就職先が異常な組織であっても、何がホワイト企業、正常な組織であるかの判断材料(=企業での実践経験)が無いのです。そのため、何が異常でブラックなのかが分からず、そのままブラック企業に必死にしがみついてしまった者も大変多かったと思われます。
[amazonjs asin="4104715212" locale="JP" title="ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない"]
そういった意味では、2008年に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」が発行され、ブラック企業という言葉と概念が浸透し出した2010年代より前に20代・30代前半だった若者達は本当に目も当てられないぐらい悲惨さだったと思います。

出展:新語・流行語大賞
なにせブラック企業という「悪の組織」自体が理解されておらず、彼らの苦しみを理解できる人もほとんどいなかったからです。ブラック企業を知らない多くの大人たちは、彼らに「甘え」という烙印を押したのかもしれません。しかし、そうした無理解も、若者の自殺者を増やした一因だと考えます。こうした無責任な烙印を押した大人達は、精神が病むほど猛省すべきです。どれだけの若者を天国へ送り込んだことか。
過労自殺者数は以前に比べ横ばい程度(かやや減少傾向)かもしれません。なぜなら、ブラック企業という「悪魔の組織」についての認識が徐々に深まったからです。正社員という「嘘の肩書き」に翻弄され、ブラック企業にしがみつくことがいかに無意味で馬鹿げたことかが認識され始めたのです。
こうした改善の背景にはかなり多数の若い犠牲者(自殺者・過労死者)がいた事は、あらゆる世代の人にも記憶に留めていただきたいのです。
彼らは筆者と同じアラフォーの世代です。生きていたなら。
親もブラック企業を学ぶべき
それでも、バブル崩壊後の「失われた30年」で起きた急激な雇用・労働情勢の悪化を全く理解できずに、子どもに対し未だに1つの企業に「長く勤める」ことを勧める無責任や親や大人もいるはずです。
そんな時代錯誤な意見は、完全に無視して下さい。そんなアホな教育のせいで命を落としては元も子もありません。現在家庭を持っている親御さん達は、幸運なことにブラック企業に搾取されなかった方が大半だと思います。なぜならブラック企業に足を突っ込んだら、結婚や経済的安定などとは正反対の地獄に陥るからです。そもそも生きていない可能性も十分にあります。
だからこそ、ブラック企業地獄を体験したことのない親御さん達は、ブラック企業について真剣に学ぶ必要があると私は考えます。現在の雇用・労働社会の実態を少しでも知ることで、筋違いな教育を子どもにせずに済むのです。つまり、子どもを無駄に苦しめずに済むのです。
[amazonjs asin="4166608878" locale="JP" title="ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)"]
[amazonjs asin="4166610031" locale="JP" title="ブラック企業2 「虐待型管理」の真相 (文春新書)"]
日本の新卒採用基準はアブノーマルで非人道的
ここまではブラック企業が日本に蔓延した背景を、体験者の視点から分析しました。
次にお伝えしたいのは、日本の雇用・労働環境は世界から見てかなりガラパゴス化しているということです。特に「新卒一括採用」は、実力・能力主義の世界からしたら、絶対に理解不可能な「理不尽」で「非生産的」アブノーマルなものにしか映らないはずです。
こうして考えてみると「新卒一括採用方式」での採用・選考基準も、かなりアブノーマルで、チンプンカンプンであることが容易に想像できます。
偏った人間評価
2017年卒の新卒採用活動が6月解禁 企業の選考担当者に聞く「採用基準」は - ライブドアニュースによると、選考担当者は学生の以下の点を評価しているそうです。
■就活生の選考で評価するポイント
2位「成長意欲の高さ、将来性」45.2%
3位「空気を読む力」43.8%
4位「学校で学んだ専門分野」39.2%
5位「ビジネスマナー」32.1%
6位「質問力」29.8%
7位「雑談力」29.5%
8位「取得資格」28.2%
注目すべきは、選考担当者が重視する項目のうち、学生の専門性や能力、学力を示す項目は15項目中5つしか(赤の項目)挙げられていないという点です。
努力は通用しない
それもそのはず。繰り返しますが、日本ではドイツなどと違って「実践的な職業教育」が行わていません。ですから、全員とは言いませんがほとんどの学生は企業での実践経験やスキルを培ったことがありません。ですから学生をスキルや職能で評価しようとしても無理なのです。
しかしだからといって、特に以下の項目で学生を選別するのは、理不尽で場合によっては人権侵害になるではと私は考えます。
3位「空気を読む力」43.8%
6位「質問力」29.8%
7位「雑談力」29.5%
なぜならこれらの項目のほとんどが、その人の生まれ持った「性格」や「人格」に起因するからです。
ですから、こうした評価項目は「努力」によって短期間(=就活の期間)で変えようがないのです。つまり、企業が「人間力採用」を続ける限り、就活生は採用されるための努力のしようが無いのです。
評価基準が異常なだけ
このように日本の新卒者の採用基準は、学生の努力や能力への評価とは異次元のものになっているのです。
しかも、「人間力採用」という先進国にあるまじき低レベルな基準(差別)ともなっているのです。この国がすぐに実力・能力社会になって欲しいとは言いません。しかし、1秒でも早く学生の努力や能力、努力の結果得た資格や専門性が【公平・公正に】評価される雇用制度になって欲しいのです。
私は「努力」自体に価値や意味があるとは全く思っていません。今の日本では結果につながらなかった努力は無価値ですから(現実がそうなってしまった)。しかしだからと言って、努力しても報われない雇用の仕組みは、あまりに若者にとっては無慈悲・冷徹で、それが若者を苦しめる原因だと主張したいのです。
婚活か!
1位「人柄の良さ」54.7%。1位が「人柄の良さ」。しかも54.7%。これでも経済先進国?情けなくて言葉も出ません。
これは結婚相手に求める条件とほぼ一致。婚活かよ!いや違うそうではない。これは若者の人生がかかった大事な就活なんだ!いい加減目を覚ませ!正気になれ日本企業、まったく。
未だに「就職とは結婚相手を探すのに似ている」と豪語する採用担当者も相当います。そういう昭和マインドの連中の脳みそを平成デフレ不況型の脳みそに交換しないと、ただ学生が割を食うだけです。
先の見えない不況下で本当に必要な人材は、すぐに成果の出せる能力の高い人材です。そういう人材を求める企業が増えないと、永遠に日本では学生、若年者への実践型職業教育システムが実現しないでしょう。
こんな馬鹿げた基準で振り落とされても、あなた達に非はありません。
- 決して自信を失ってはいけません。
- 決して自分を責めてもいけません。
あなた達は筋違いな「婚活型採用」には縁が無かっただけです。決して人格や能力が否定されている訳ではありません。これだけは強く信じて下さい。
空気を読む力
3位「空気を読む力」43.8%。これも馬鹿げていて言葉になりません。
ちなみに「空気を読む力」とは、「表情やじぐさなどから、相手の思考を読み解く力」のことだそうです。確かにこうした能力は長い時間をかければ、磨き上げることは可能かもしれません。
「空気を読む力」はやはり、本人の生まれながらの気質や性質や、家族構成などの影響大きく受けるから要素だからです。生まれつきの個性・アイデンティティーを急に改造することはどう考えても無理です。それを無理強いする社会なら、自殺者が多いのもうなづけます。

出展:KY式日本語
[amazonjs asin="4469221961" locale="JP" title="KY式日本語―ローマ字略語がなぜ流行るのか"]
本人が「空気を読む力」を本気で磨き上げたいと思うなら、かなり早い段階で何らかの訓練を受けるべきでしょう。そして日本企業に好まれるヒューマンに生まれ変わるしかないのでしょう。しかし経験上、本当にKYな人が、空気を読めるようになった事例を一度も見たことがありません。悲しいかなKYな人は、KYである自覚がない人が多い気がします。
それほど、「空気を読む力」はその人の生得的な特徴で、それゆえ、その改善にはかなり時間と人生経験が要ると思います。そんな項目で学生を選別して、「人としての心」が傷まないのでしょうか?
質問力はなんとかなる
6位「質問力」29.8%。
「質問力」については、偏った人間評価の中では、唯一ビジネススキルに直結する適切な評価項目だと思います。ちなみに「質問力」=「本音を引き出す質問ができる力」だそうです。これは恐らく「交渉能力」と言い換える事ができるでしょう。
この交渉力は、実際に重大な交渉を何度も経験することで、(恐らく誰でも)飛躍的にスキルアップが可能です。
私は途方もなく内向的で人見知りです。アラフォーとなった今でも他人と話すのに苦労しています。そんな私でも「交渉力」は会社員になって半年もしない内に驚く程向上した記憶があります。質問力、交渉力は性格・気質だけで限局されるものではなく、知能や経験によって身に付く駆け引きの「技術・スキル」だと思います。
こうした機会が与えられていない日本の学生達を「質問力」で選別するのは、やはり、その人を生得的な能力や人格での選別、いや「差別」だと言って良いでしょう。
ただし、「質問力」や交渉力については、繰り返しますが経験や知識によって、わりと短期間で向上が可能だと思います。就活生向けにそうしたスキルアップの機会があれば、参加してみるの良いのかもしれません(※自己責任でお願いします)。参考書的な物もあるので、早いうちからそれらを活用するのも手でしょう。
合コンか!人権侵害です
7位「雑談力」29.5%。もうバカとしか言いようがありません。
ちなみに「雑談力」とは文字通り「雑談を盛り上げられる力」だそうです。
合コンかよ!飲み会かよ!日本の会社に入るってそんなことなの?まあ「日本では」そういうことなんでしょう。こんな基準で落とされたからって、絶対に落胆しちゃいけません。むしろこんな基準で人を選別している日本社会を嘲笑し、憐れんであげましょう。
実力・能力社会とは程遠い世界。実にバカらしい。
しかし、この雑談力。これは明らかにその人のパーソナリティー、人格の根幹に関わる要素。ですから、この基準で人を選別しているなら、もう「人権侵害」でしょう。到底、就活の短期間の努力で何とかなるものではありません。
10代から苦しんでいる
ちなみに私も物心ついた頃からのかなりの人見知りで、コミュニケーション能力ゼロ。特に同世代と話すのが大の苦手。ですから「青春」とは程遠い真っ暗でドンヨリとした高校・大学生活を送ってきました。友人もほぼゼロ、恋人なんてもってのほか。学校が楽しいと思ったことはほぼありませんでした。
それなのに就活の際も、その雑談力の低さで振り落とされ、何十社受けても内定ゼロなら、私でも自殺しますね。もう「人間不合格」だと勘違いして。
大丈夫。聞き上手にはなれます
「だったら、雑談できるよう努力すれば良いのに」
多くの人が安易にそう思ったでしょう。私も出来るだけの努力をしました。でもこの雑談力・コミュニケーション能力。残念ながら「三つ子の魂百までも」。生得的な能力差。年をとっても変わりにくい性質、能力でした。
確かに「三つ子の魂百までも」として例えられる、生得的で変化しにくい性質ですが、生涯という長いスパンで考えると、案外知らぬ間に、他人とのコミュニーケーションがスムーズにできるようになっていたりします。厳密に言えば、こちらから話しかけ、積極的に場を盛り上げる「人物」に豹変することは生涯かけても、まあ無理だと思います。
ただし時間はかなりかかります。私の場合、コミュニケーション能力の低さをあまり意識しなくなったのは、30代半ばぐらいからです。生来雑談が苦手な人はそのぐらいの長い期間は必要かもしれません。
現に、採用担当者が学生を評価するポイントのトップ5には「雑談力」は入っていません。また内向的な学生はもともと「人柄の良さ」と「空気を読む力」は持ち合わせています。後は「成長意欲の高さ、将来性」等をアピールすれば、道は十分広がると思います。
2位「成長意欲の高さ、将来性」45.2%
3位「空気を読む力」43.8%
4位「学校で学んだ専門分野」39.2%
5位「ビジネスマナー」32.1%
雑談力が無くても、あなたは十分潜在能力(ポテンシャル)があります。日本企業の採用は「ポテンシャル採用」です。自分の苦手な分野だけにとらわれて失望しないで下さい。
確かに社会人になって最初の頃は「雑談力」が無いことで事で必ず苦心はすると思います。しかし「聞き上手」になれば、その苦悩から本当に知らぬ間に解放されます。
今でも超々内向的で口下手、物静かで、ずっと居たのに気づかれず、飲み会ではいつも隅っこにいる私ですが、仕事上のコミュニケーションと、たわいない世間話に付き合うことができれば、何とかなります。そういう意味では学校と会社はかなり違います。
結果主義になっていはいけない
今まで具体例を挙げたとおり、日本の「新卒一括採用」は、実力・能力型採用ではなく、努力が通用しにくい(差別的な)「人間力採用」です。ですから、生まれながら会社員に適したパーソナリティーをもつ学生は腐るほど内定が取れ、他方、そうでない者は1つも内定がもらえない、もしくは、もらえたとしても「ブラック企業」である危険性があるのです。
このような人間力採用は理不尽な競争。競争にいくら望んでも「結果」が出ない。どうしても「結果」が欲しいからまた競争に臨む。挑戦しては不採用という「結果」が出続けると、自分は「結果」が出せないダメな人間だと失望してしまうかもしれません。
そう思い始めたあなたは「結果主義」に陥っています。速やかに思考を転換しないと「就活自殺」に繋がりかねません。
自己卑下してはいけない。あなたは十分価値がある
なぜなら結果を出せない=ダメな自分という「単純な図式」になり、無下に自分を苦しめるからです。
実力・能力主義の社会で内定が取れないなら、単に自分に実力が足りなかったと解釈することが出来ます。それが、実力・スキル、専門性などを高めてから再チャレンジするためのモチベーションにもつながる可能性もあります。
しかし、日本は「人間力採用」の国。「ポテンシャル採用」という意味不明の国。
選考基準が極めて曖昧です。しかも実態は実力・スキル型ではなく「人格」に関わる部分で選考がされています。
そんな曖昧で非人道的な基準のもとで何で挑戦してもダメなら、当然どこをどう改善すればいいのかが分からなくなります。辛いでしょう。苦しいでしょう。
こんなに頑張っているのに何で自分だけ内定が取れないのか。その答えが出せなくなった時、人は企業や社会のせいではなく、自分のせいにしてしまうでしょう。でも、それは止めましょう。
自分が可哀想です。
- 「新卒至上主義」という日本の価値観は世界的に見て「極めて異常」で非合理で非生産的
- もちろん新卒採用基準もアブノーマルで、場合によっては非人道的
- したがって、そんな価値観で評価され内定を得られなくても、「人間」としては失格でない
若者が悪いのではありません。日本の雇用システムがおかしいだけです。平成不況を約30年経験しても、頑なに昭和・戦後スタイルの「新卒一括採用」+「企業内職業教育」を固持してきた経済界と、雇用・労働問題に鈍感な政治が悪いのです。
正社員になれなかったら
不幸にも新卒で正社員になれなかった。
そのことはとても残念なことです。しかし繰り返しますが、あなたはおかしな(時に非人道的な)日本の雇用システム(新卒一括採用)に翻弄されただけです。無下に自己否定してはいけません。
とは言え、その後待ち受ける、正規・非正規の諸格差。一度非正規になったら、正社員なることのできない不可逆性などの真っ暗な未来を展望し、更に絶望し、人によっては早逝するのかもしれません。
しかし、このように勝ち組になる唯一のチャンスを失ったからといって、絶望してはいけません。前の記事(若者よ地方公務員を目指せ!)で書いたとおり、日本の若者は20代半ばまでなら、正社員になれなかったとしても、確実に勝ち組になる方法はあります。それについてと、もう1つの自作防止策(他人と自分を絶対比較をしない)については、次回にまわしたいと思います。
最後に、夢ややりたいことのために、就活さえしなかった若者に釘を指したいと思います。
- 誰でもサラリーマンになれる
- 命さえあればいくらでもやり直しが効く
人間力採用の新卒一括採用と、即戦力型の中途採用という両極端な「二元雇用システム」が解消されないかぎり、少なくとも「命さえあればいくらでもやり直しが効く」なんて「楽観視」は絶対にしてはいけません。
もしかしたら、あなたは「そのうちなんとかなるだろう~♪」という「昭和マインド」になっているのかもしれません。
今は平成不況です。必ず足元を固めながら、夢を追いましょう。